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| エデュ: | キリスト教主義に基づく教育を行っているのですが、具体的にはどのような活動をなさっているのでしょうか。 |
| 峰田校長: | ![]() 普通科の学校ですので、宗教教育に多くの時間を割いているわけではありませんが、通常の中学校では「道徳」として行う授業時間を「聖書」の時間に割り当てています。したがって、生徒は週1時間、必ず聖書に触れることになります。聖書は単なる宗教書というだけでなく世界共通のスタンダードとして、理解が欠かせないものと考えております。また、同時に一人ひとりの人間にとっても生きる指針を与えてくれる教典ですから、生徒にとっても身近なものになってくれることを願って1時間を取っています。 この経験がのちのち、大人になったときに「そういえば中学のときに聖書でこんなことを読んだっけ」というような記憶につながり、改めて開いてみる、というようなことになればいいと思っています。
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| エデュ: | 一方、男子らしさが希薄になったといわれる昨今、男子校として「父性」の育成を掲げていらっしゃいますね。 |
| 峰田校長: |
そうしたことを考えれば、やはり男としての自覚をしっかり持たなければならないと思いますし、それが社会や家庭における男性としての役割・責任を自覚することに連なると信じています。こういうこともあって、頑なまでに男子教育を堅持していきたいと思っているのです。 もうひとつの理由は、中高生という発達段階は男女の差が著しい時期に当たります。この時期に男女いっしょに教育するデメリットのほうを危惧することにあります。異性を意識するということはいずれ訪れることですが、もっと気を配らなければならないことのほうに意識が向かなくなってしまう。それは避けなければならないことではないでしょうか。 |
| エデュ: | 英語では経験者クラスをスタートさせ、2年目になりますが・・・。 |
| 峰田校長: | 聖学院にはさまざまな学力レベルの生徒が入学してきます。だからといってその能力別にクラス運営をすることは、学校として極めてむつかしいことだと思います。しかし、英語を一定の段階まで経験している生徒まで、初学者と一緒にアルファベットの学習から始めるのは意味がないばかりか、やる気や意欲をそぎます。伸びる生徒がそこで足踏みをするような「階段の踊り場」はなくしていこう、という趣旨が出発点にありました。
学力の個人差がスタートラインでそんなに大きいわけはありません。本人にやる気があるかどうかのほうが差としては大きく影響します。教師が言っても、親が言っても動かなかった生徒がクラスの仲間の刺激によって動くケースも少なくありません。間近で伸びている友達を見れば、親の言葉より「よし、ぼくも」、とやる気を促す効果は大きい。
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