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エデュ: |
キリスト教主義に基づく教育を行っているのですが、具体的にはどのような活動をなさっているのでしょうか。 |
峰田校長: |
 普通科の学校ですので、宗教教育に多くの時間を割いているわけではありませんが、通常の中学校では「道徳」として行う授業時間を「聖書」の時間に割り当てています。したがって、生徒は週1時間、必ず聖書に触れることになります。聖書は単なる宗教書というだけでなく世界共通のスタンダードとして、理解が欠かせないものと考えております。また、同時に一人ひとりの人間にとっても生きる指針を与えてくれる教典ですから、生徒にとっても身近なものになってくれることを願って1時間を取っています。
この経験がのちのち、大人になったときに「そういえば中学のときに聖書でこんなことを読んだっけ」というような記憶につながり、改めて開いてみる、というようなことになればいいと思っています。
週1時間の聖書の授業とは別に、朝のショートホームルームでも全校いっせいに校内放送で賛美歌を流し、一節を歌い、そのあと「主の祈り」というキリスト教の教えのエッセンスのような祈りの言葉を唱えます。さらに、日課として与えられている聖書の個所を各クラスの当番がひとりずつ読んでいきます。一部のクラスでは、それをすべて英語で行います。日本語の聖書はとっつきにくいのですが、英語のほうが却ってわかりやすいというところがあるので、英語力の向上にも役立てられています。いずれにしましても、10分に満たない時間ではありますが、1日のスタートに当たって、いろいろなことを家庭から背負い込んで学校に来ているかもしれない生徒たちが、心を整える時間として大事にしています。
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エデュ: |
一方、男子らしさが希薄になったといわれる昨今、男子校として「父性」の育成を掲げていらっしゃいますね。 |
峰田校長: |
世の中、女性が強くなるほうが平和でいいのかもしれません(笑い)。しかし、折り目、節目では男性の発言がほしいときはあります。ましてや子育てのように重要なことについては母親だけが主導権を握っている状況は望ましいとは言えません。男親でなければ男の子はわからない、という面もあるはずです。社会の各方面での女性の進出は望ましいことですが、自分の息子を育てることになると話しは別で、男性が権利を放棄してよいものではないだろうと思います。
そうしたことを考えれば、やはり男としての自覚をしっかり持たなければならないと思いますし、それが社会や家庭における男性としての役割・責任を自覚することに連なると信じています。こういうこともあって、頑なまでに男子教育を堅持していきたいと思っているのです。
もうひとつの理由は、中高生という発達段階は男女の差が著しい時期に当たります。この時期に男女いっしょに教育するデメリットのほうを危惧することにあります。異性を意識するということはいずれ訪れることですが、もっと気を配らなければならないことのほうに意識が向かなくなってしまう。それは避けなければならないことではないでしょうか。
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エデュ: |
英語では経験者クラスをスタートさせ、2年目になりますが・・・。 |
峰田校長: |
聖学院にはさまざまな学力レベルの生徒が入学してきます。だからといってその能力別にクラス運営をすることは、学校として極めてむつかしいことだと思います。しかし、英語を一定の段階まで経験している生徒まで、初学者と一緒にアルファベットの学習から始めるのは意味がないばかりか、やる気や意欲をそぎます。伸びる生徒がそこで足踏みをするような「階段の踊り場」はなくしていこう、という趣旨が出発点にありました。
わたしたちは「一人ひとりを大事にする教育」を言いますので、不振者のケアのみを考える方が多いかもしれませんが、そればかりでなく同時に、伸びる生徒は伸ばしたい、両者に目配りをしたい、というのがわたしたちの願いです。ですから能力別クラスということではなく、経験者はスタートラインを移し、悪平等を避けましょうということなのです。こうすることで、2年間取り組んできましたが、アルファベットから始めた生徒のなかからも経験者に追いついてくる生徒がいて、全体の学力アップという点で、予期しえない相乗効果を周辺に及ぼしています。そのことが英検の合格者数にも現れており、10月の検定で中2では、上位生からは準2級に24名、2級に3名が合格、他にも3級に77名、4級に164名の合格者が出ています。
学力の個人差がスタートラインでそんなに大きいわけはありません。本人にやる気があるかどうかのほうが差としては大きく影響します。教師が言っても、親が言っても動かなかった生徒がクラスの仲間の刺激によって動くケースも少なくありません。間近で伸びている友達を見れば、親の言葉より「よし、ぼくも」、とやる気を促す効果は大きい。
大学受験生の多くが英語で四苦八苦しています。この英語での自信のなさが他の面の自信喪失につながってしまうとすればそれは不幸なことです。入試という関門につまずいて本来やろうとしている学問の能力が伸びないというのではかわいそうなことです。聖学院では6ヵ年一貫教育のメリットを活かし中学でやや前倒しに進めて特に英語に早めに自信をつけさせ、高校段階ではゆとりを持って他教科に取り組めるカリキュラムになっているのも、そうした面で効果があるだろうと思っています。このようにして一人ひとりの未来を見据えた教育を進めようと思っております。
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