日本で初めての近代的な大学として設立された東京大学。同大の出身者は、なぜ同大を志し、大学で何を学んだのか。
同大出身で、オンライン証券の草分け的存在であるマネックス証券株式会社代表取締役社長CEOの松本大氏に話をうかがった。
エデュ:まずは、開成中学・高校時代からお聞きしたいのですが、学生時代はどのような生徒でしたか。
松本氏:落ち着きのない生徒だったと思います。授業中もよく先生に怒られていましたから。とにかく友達と遊ぶのが楽しくて、いろいろないたずらをしていましたね。勉強は…あまり好きではなかったです(笑)。でも、テストの前には勉強をしていました。中学1年の1学期の中間テストのときは、スケジュールを立てていたのですが、すぐに続かなくなり、その後は、テスト前に集中して学習しました。成績は良かった方だと思います。
エデュ:短期間で学習しても成績が良かったのには、何か学習方法に秘訣があったのですか?
松本氏:早く寝て睡眠時間を確保し、早朝に試験勉強をしていました。暗記が中心の科目はそのような短期集中の直前の準備で何とかなるところがありますが、数学だけは、そうはいかない。ある時まで、問題を繰り返し解くことをやっていました。高校時代に、あるクラスメートの数学のノートに出会うまでは。その友人の数学のノートは、すごかった。数学って問題を解くときにさまざまなアプローチがあって、アプローチ次第で長々とノート2ページにわたる解き方があったり、はたまたたった2、3行で解に至る解き方もあったりするんです。その友人の解き方は、とても洒落ていた。簡潔に非常に短いアプローチで問題を解いてしまう。彼はその後東大理三に進学しましたが、彼のノートに出会ってからは、彼のノートを参考書代わりにしていました。
エデュ:そのころ、なりたかった職業や夢はありましたか。
松本氏:医者か理論物理学者になりたいと思っていました。医者になりたかったのは、兄を病気で亡くしていることもあり、そのときから医者を大変尊敬しているからです。また、理科が好きなので、物理学の道に進むことも考えていました。
エデュ:理系から文系に転向、いわゆる文転をされたそうですが、何がきっかけだったのでしょうか。
松本氏:物理の道を志すことをあきらめたのは、高校2年生の秋でした。理論物理学者のニールス・ボーアの功績を知って、彼のような才能がないから無理だと(笑)。医者をあきらめたのは、高2から高3に進級するときの春休みでした。当時、医者を題材にしたテレビドラマを見て、その後、風呂場で考えて…自分にこんなヒューマニティはないと思って、無理だと(笑)。すぐに担任の先生に「文転します」と電話しました。気持ちが揺らがないうちにと思ったんです。それが、新学期になって学校に行ったら先生に「(文系クラスへの編入が)間に合わなかった」と言われまして、結局残りの1年間も理系クラスに在籍したまま、東大文一を受験しました。
エデュ:東大を受験しようと思ったきっかけは何ですか。
松本氏:文一を受けようと思ったのは、父親が東大文三の出身で、父親に対して息子が自然と抱く競争心のようなものからです。
エデュ:理系クラスの中にいて文系の学習をするのは大変ではなかったですか。
松本氏:それはもう大変でした。数IIIや物理、化学はやる気にならず赤点ばかりでした。数学に関しては、中学からのテスト前の学習方法が身についていたので大丈夫でした。古文は、よい参考書に出会い、その1冊を使って身に着けました。もともと詩を読むのが好きだったこともあってか、現代文は問題なかったですね。詩の内容はすぐには理解できないことが多いので、考えて文章を読む習慣が読解力に繋がったのだと思います。一番困ったのが暗記が必要な世界史。実は受験直前の12月、東大模試を受けたら、こんな判定が存在するのかというくらいひどかったんです。これはまずいと思い、それから3か月間真剣に勉強しました。朝から晩までご飯を食べる以外は机に向かっていましたから。教科書を読んで、ワークブックに書き込んで、とにかく1日中座っていたことを覚えています。
取材協力:Z会東大マスターコース
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