
2009年3月10日、東京大学合格発表当日。この日、インターエデュ記者は運命の瞬間に立ちあうことができました。東大受験をした市川学園の大熊将平くん(理Ⅰ)と岡﨑拓也くん(文Ⅲ)が合否を確認する瞬間に同行することを引き受けてくれたのです。
ラグビー部の仲間で一緒に東大を受験した2人。友だちの大川くんや3年生担当の川崎学先生と待ち合わせをした駅から合格掲示板を確認する瞬間までをお伝えします。




市川学園でのお二人の生活について聞いてみました。
エデュ:岡﨑くんが中学受験で市川学園を目指した理由を教えてください。
岡﨑くん:実は、市川には2次でたまたまうかったんです(笑)。 両親は別の学校に行くと思っていたみたいで、最終的に僕が市川を選んだ時には入学金を別の学校に振り込んでいたので、父とはケンカにまでなりました。
エデュ:市川学園での生活を振り返っていかがですか?
岡﨑くん:僕にとっては、なんだかラッキーの積み重ねでした。クラスの友だちに誘われて入ったラグビー部で「一生の友だち」と言える出会いもありました。東大を目指すなんて、以前の僕では思いもしなかったことに挑戦もでき、さらに合格もできて。この瞬間も夢なんじゃないかって信じられない気持ちでいっぱいです。
エデュ:東大を目指し始めたのはいつごろからでしたか?
岡﨑くん:高2の2学期の模試で一橋大学のA判定が出て、目標を上げて、東大を目指しました。同じ部活で友だちの大熊も東大を目指していて一緒に入りたいという思いもありました。
エデュ:部活はいつまで続けていましたか?
岡﨑くん:高3の11月まで続けていました。僕はラグビー部最後の試合、残り1分でミスをしてしまい、それがとても心残りで…。受験モードに切り替えてから今度は負けたくないって最後まで粘ろうと思っていました。
エデュ:高3の11月まで部活をやっていたとは…すごいですね。本当に最後の粘り勝ちですね。 最後に市川学園を目指す受験生へメッセージをお願いします。
岡﨑くん:僕にとってはラッキーで入れた学校だったけど、学校は偏差値だけではないと思います。入った後にどういう出会いができるか、どう充実した学園生活を送ることができるかは本人次第かな。市川学園はそういう意味でとても僕を成長させてくれた学校でした。
エデュ:大熊くんが市川学園を志望した理由を教えてください。
大熊くん:母親がいくつか選んだ学校の中に市川があったんです。その中で学校に足を運んで校舎がとてもきれいだったので市川に行きたいと思うようになりました。あと、男子校より人間関係も学べる共学の方がいいと思っていました。
エデュ:市川学園での生活で思い出に残っていることを教えてください。
大熊くん:僕はラグビーなどを通して仲間を大切にし、お互い成長し合える関係を築けたのがよかったと思っています。塾にも行かずに東大を目指したのですが、自習室も充実していて先生方にもとてもお世話になりました。主体性を大切にするところが市川の魅力です。
エデュ:東大を目指し始めたのはいつごろからでしたか?
大熊くん:高1くらいです。日本で一番、頭がいい大学へ行きたいって(笑)。でも、勉強と部活の両立は、なかなか大変でした。部活を終えて8時くらいに帰宅し10時くらいから勉強を始め、途中ウトウトしながら夜中の2時くらいまでやっていました。さらに高3の11月の模試判定ではE判定。最後の模試でもD判定でした。だから、今、うかったっていうのが、実感ないですね…。受験番号を何度も確かめちゃいました。
エデュ:東大を目指していた時に大切にしていた気持ちはありますか?
大熊くん:やっぱりラグビーで学んだことは大きいですね。「本番では練習以下が出る」っていう経験や楽天の野村監督の言葉「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」は、いつも心の中に置いていました。それと岡﨑の存在も大きかったです。自分だけうかったらとか自分だけ落ちたらとか不安もありましたけど、結局、お互いを高め合うことができた岡﨑の存在が一番、励みになりました。
エデュ:ありがとうございました。お二人のおかげで今回の取材、とても実りあるものとなりました。
大熊くん:あ~、僕、もう一回、確かめてきてもいいですか?…
そう言いながら、大熊くんはもう一度、貼りだされた掲示板を確かめにいきました。