伝統の中で培われてきた自主自立の精神

1906年創立の芝中学・高等学校は、浄土宗の僧侶育成校を前身とする伝統校。
仏教の精神を背景とする「遵法自治」を校訓とした人間教育を重視している。「遵法」とは法に従うこと、つまり全世界や宇宙の法、永遠の真理などに逆らわずに生きること、「自治」とは自主・自立の態度で自分を治めることである。
自由でのびのびした中に、自主自立を重んじる精神が貫かれた校風は、良き伝統を受け継ぎ、育まれてきたものに違いない。

情操教育を通じて感性を育む 実技を重んじ、自立した人間力を磨く

同校では主要5教科という言い方はしない。人間教育という面からは全ての教科が大切だと考えるからだ。
今回の取材では、「技術」、「家庭」、「美術」、「音楽」の授業を見学させていただいた。

芝中学・高等学校授業風景(技術)

中学2年の「技術」の授業で、生徒達が制作しているのは「木枕」だ。
木材を組み合わせて作る枕だが、市販のキットなどは使用せず、木材から切り出すところから始めている。

ノコギリやノミを使って木材を加工する作業に、生徒達は真剣に取り組む。
注意を怠ればケガをする危険もあるが、同校では作業の中で、刃物を用いることを厭わない。
むしろ、積極的に使いこなし、使う道具の手入れは自分で行い、自分自身が管理することを重視している。実際、ノミを研いでいる生徒の姿も見られた。

こういうことが、ごく普通に行われる学校はそう多くはないだろう。

芝中学・高等学校授業風景(美術)

中学1年の「美術」では、人物デッサンが行われていたが、生徒達が使っている鉛筆は、自らカッターで削ったものだという。鉛筆を見て、なるほどと納得する。良く言えばとても個性的。削った木の部分がガタガタだったり、芯の部分が極端に長かったりと様々だ。

中学入学以前は、カッターで鉛筆を削ったことなどない子どもがほとんどで、初めて自ら鉛筆を削る子どもは、思いがけないようなやり方をするという。
鉛筆の先を上に向けて削って、削りかずを辺りに飛び散らかしたり、カッターの刃の向きがわからない生徒もいる。
経験したことのある人にとっては当たり前でも、初めての人にてってはわからないことばかりだ。
考えてみれば当然のことで、知識ではなく、実際に経験することで身につけてきていることの方が多いに違いない。

芝中学・高等学校授業風景(美術)

高校1年の「美術」では、「指輪作り」に取り組んでいた。
合成樹脂を加工して自分がデザインした指輪を作り、鋳造(この行程は業者に委託)し、銀の指輪を作成する。世界にひとつだけの指輪。基本的には自分の指輪を作るが、母親や彼女へのプレゼントになることもあるとか…?

授業では他に、メゾチントと言われる銅版画や鍛金の技法を用いたレリーフの作成、篆刻、水墨画など、様々な素材、技法での作品を作る。かなり高度な技術や表現を求められるものが多いが、生徒達は、あまり簡単なものより少し難しいくらいの課題に興味を持ち、熱心に取り組むという。

美術の授業について担当の先生は「たくさんの素材に触れ、ありきたりの枠にはまらない多彩な表現をしてほしい」と、生徒達への思いを語られた。

芝中学・高等学校授業風景(美術)芝中学・高等学校授業風景(美術)芝中学・高等学校授業風景(美術)
芝中学・高等学校授業風景(家庭科)

「家庭科」の授業ではエプロン作りが行われていた。
ここも高校1年生の授業。 市販のキットを使っての作成だが、最初の布選びからはじまり、裁断、縫製と全て自分の手で行い、自身が使うエプロンを作成する。中には花柄のエプロンを作っている子もいて、微笑ましい。
実際に身につけてお互いにサイズを確認したり、わからないところを教え合ったり、楽しげに作業に取り組んでいる。
男子生徒ばかりの教室では、妙な照れや見栄などがなく、こうした作業にも取り組みやすいのかも知れない。ひとり1台のミシンを用いて作業ができる恵まれた環境だ。

「小学校の時は、女子がどんどん進めてしまって、実際に自分がミシンに触れる機会が少なかった」と話す生徒もいたが、この環境なら、しっかり自分でミシンを使うことができる。

ミシンの調子が悪いとき、多少の故障なら、生徒達が直してしまうというのも心強い。使う道具を自分で管理することは、ここにも浸透している。2学期には、この手作りのエプロンを身につけて調理実習が行われるという。

芝中学・高等学校授業風景(音楽)

「音楽」では、バイオリン演奏がされていた。見学させていただいたのは、中学2年生のクラス。クラス全員で「きらきら星」を演奏する。
音楽としての完成度を言えば、十分とでない点もあるかも知れないが、生徒がみな、気持ちを合わせ、音を響かせようと真剣な表情で演奏する姿は清々しい。
中学に入学した時には、バイオリンに触れたこともなかった生徒達が、1年余りの音楽の授業の中でここまで演奏できるようになるのかと驚き、感動した。

全員での演奏の後、4人ずつでテストが行われていたが、生徒達がここまで演奏できるようになるには、ひとりひとりの技術を把握して、的確な指導が行われてきたのだろう。
ひとり1台のバイオリンを用いて練習できる環境と的確な指導が、ここまでの演奏を可能にしたことを強く感じる。難しい楽器と言われるバイオリンを演奏することができたことは、生徒にとって大きな自信となるに違いない。

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国際社会の中で、しっかりと自分の意思を伝えられる人間に!
共生(ともいき)の精神を大切に、互いに信頼し合い成長する学校生活

インターエデュ(以下、エデュ):芝学園の教育方針として掲げられている「A-I(あい)校心」についてお聞かせください。

芝中学・高等学校 春日利比古校長先生

春日利比古校長(以下、校長):芝学園は今年で106年の歴史があり、良き伝統がベーシックにありますので、それが大きく変わるということはありません。

「A-I(あい)校心」はアルファベットのからまでで、本校の教育をより充実させるための重要なポイントを示し、教育のビジョンをより鮮明にピーアールできるものとして考えています。
A-I(あい)としたのは、「Love」の意味を置いているわけで、人間愛、隣人愛、家族愛、友人関係といったすべてが含まれての「A-I(あい)校心」という思いがあります。
まず、学校というのは学びの場ですから、その根幹は「A(Academic)~学問・教養の場であれ」であることは言うまでもありません。

その上で、A-Iまでの中からピックアップするなら、ひとつは、「F(Free)~規律ある自由の伝統」があります。本校は自由な学校だと言われ、良き伝統だと思っています。ただし、規律ある自由でなくてはならない。自由奔放とは違います。自由な精神がないと、ひとりひとりの個性は育っていかない、自立性が育ってこないでしょう。

今年、東日本大震災という大きな災害があって、日本人はもう一度、人としてどう生きるべきか考え直すことになったんだろうと思います。人の尊厳、生きるとはどういうことか、といったシビアな命題をつきつけられているのだと受け止めています。
「生きる」ということについては、「H(Heartful)~仏教精神たる共生(ともいき)の社会の実現」が、キーワードとして非常に重要だと思います。仏教の精神をバックボーンとしていることは、本校の教育において重要なことです。その精神のひとつが「共生(ともいき)」ということで、「人はどんな人でもひとりで生きていくということは絶対できない」ということです。

「自分は周りの人によって生かされている」という精神を教員はもちろん、生徒ひとりひとりが、きちんと認識できるかどうかが芝という共同体を形成していくときに重要な思想です。クラスが40人ならば、その中に自分がいるとき、まわりの39人はみんな違った個性の持ち主です。自分以外の個性によって、自分がそこに生かされているという気持ちを持てるかどうかが大事で、謙虚な姿勢を持つことによって相手との信頼が築かれ、自分の言葉が相手に通じる、相手もそれに応えてまた言葉を返してくれるのだと思います。
これは「B(Beautiful)~美しい日本語と紳士たる心の育成」につながってきます。

芝中学・高等学校 春日利比古校長先生

現在の日本では、このが、教育における非常に重要な要素だと私は思っています。の共生(ともいき)の社会を具現化していくと、世界平和につながっていく。そこで活躍する人材を6年間、育てなければならない。
そのときに必要になるのが、であって、きちんと相手に自分の意思、感情を伝えられる人間を目指してほしいと思っています。

現代、青少年のボギャブラリーが少ないことが指摘されます。
それはまず、自分を見つめることができなくなっているということだと思います。
中学1年に入った時、まず、自分はどういう人間なのかを見つめる気持ちを持てるかどうかがスタートになって、それが相手との会話につながってくる。
学校では、そのための仕掛けをいろいろ工夫して用意します。クラス、クラブでの活動、校外学習といった活動ですね。

そこに好奇心を持って参加し、おもしろいと思ったとき、人間はモチベーションが高まるし、次へのステップへのエネルギーが確保されて、積極的に友達と付き合おうとか、会話をしようという動きになるわけです。お互いに言葉で話し合い、信頼関係を築くことができるようにと考えています。

教科ごとの学習のさせ方も同じです。ただ単に、詰め込みの知識を習得するだけの授業ではおもしろくない。
それなら、学校に来ないで、自習した方が時間は有効に使えるとも言えますよね。学校に来て学習するのは、学校が用意した仕掛けにひっかかっておもしろさを感じ、吸収していく楽しさを満喫することで、それが学校教育機関としては重要だと思っています。

エデュ:芝学園では、情操教育を重視しているとうかがっていますが、その理由をお聞かせください。

校長:人間教育というところから見ると、9科目のすべてが必要な科目と認識しています。
芸術科目や体育、技術、家庭のような実技を伴った科目の方が、かえって重要だと考えています。その証拠のひとつに「知育、徳育、体育」という教育の三育をさす言い方がありますが、「体育」は3つの柱のひとつです。楽な時間、遊ぶ時間というわけではではないんです。まさに、12才から18才の心身共に成長するときにおいて、「体育」をきちんと位置づけることは、中等教育で非常に重要なことだと言えます。体育の時間もそうですし、校外学習、クラブ活動、合宿などを通じて身体を鍛えることが、ひとつの柱としてあります。芸術について言えば、感性を養うことは非常に重要だと思います。

芝中学・高等学校授業風景(美術)芝中学・高等学校授業風景(音楽)芝中学・高等学校授業風景(家庭科)

美術の授業では、自分のデザインで銀の指輪を造るといった特殊なものも含めて、様々な素材や手法での表現を行いますが、中学1年の一番始めにやるのは、鉛筆の削り方です。
器用になるためということではなく、自分が使う物をきちんと自分で管理し、大切にしていく必要があると考えているからです。

音楽では、聴くことも重要ですが、自ら演奏することは自己表現のひとつです。

ソリストにはソリストなりのプロとしての表現がありますが、下手でもアマチュアとしての自己表現、自分自身の音を通しての感性表現があると思います。本校では、音楽の授業で全員がバイオリンを弾いています。
40人分のバイオリンをそろえるという学校としての設備投資は大変で、本当に必要なのかという声もありましたが、現実に、生徒達がクラス全員で「きらきら星」や「ふるさと」をバイオリン演奏するのを聴くと感動しますね。
全く弦を奏でたことがなかった生徒が、そこまでやるのですから。そういうところで達成感を得ると、受験に必要な科目へのモチベーションも上がってくるという面でも意味があると思います。

家庭科について言えば、将来、家庭生活を営むために、男の立場として女性がやることを理解しておかなければならないと考えています。実体験することが重要なんですね。
高1ではエプロン作りをし、その後、そのエプロンをして調理実習をしますが、実際やってみないとわからないことが、たくさんあります。
お米を炊くことひとつにしても、炊飯器の釜の中のラインをお米を入れる量だと思っていたり、お米を研ぐということの意味がわからないなんてことがある。
普段、女性のやっていることを実体験として知っていくことも、男女共生の世の中の具現化につながっていくのではないかと思っています。

共生(ともいき)の社会をきちんと具現化したときに、世界の平和がなる。できれば、そういうところでロマンを抱いて、国際化した社会の中で、語学力ということではなく、自分の意思をきちんと違う言語を話す人々に伝えることのできる人間になっていってほしいですね。

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