パイプオルガンコンサートが会場を包み込み、説明会は学院長のバーナード=バートン先生がご自身のお孫さんの写真から始まる。「私たちは、神様の計画によってつくられました。1人ひとりには生きる目的と意味が与えられています」キリスト教学校ならではの精神に基づき、競争ではなく1人ひとりを最大限に伸ばしていくことを大切にしている。
学校という集団の場で、「人と一緒に生きるということを学び、自分と同じように人も大切であるということを学びます」と人間観を育てる教育について、学院長は言葉を続ける。クリスチャンでない生徒が9割だが、生徒たちは抵抗なくキリスト教の精神に触れているそうだ。
続いて、中・高等部長の水口洋先生よりお話がある。 「何人中何位というのを気にして、人との関わりを持てない今の時代ですが、友だちは自分の心を映し出す『鏡』です。中高時代は一生の友だちができる時期です。玉川聖学院では、友だちが思い切り自分を出し合える存在となっています」と水口先生は言葉を続ける。 |
またボランティアや個別面接で教師が生徒1人ひとりの個性や特性を引き出すことを手伝っている。生徒の中にあるものを引き出し、自尊心を育てることで自分に誇りを持って卒業していくことができる生徒を育てる。 「学校は、生徒の心が動きだす機会をつくる場です。愛されて育った子は、道を少し逸れてしまったとしても必ず元に戻ってきます」と水口先生は話す。 ビデオで卒業していく生徒の様子が映し出されると、参加された保護者の中では涙を流されている方もいらっしゃった。 |
説明会後、水口先生にお話をうかがった。
―凄惨な事件が多い中、今の時代の子どもたちをどのように見ていますか?
水口:
人と自分を比べ、絶えず人の目を気にしている子が多いです。その中で、自分に自信がない子が多い。自分は、たった1人の「素敵な存在」で、「かけがえがない存在」であるはずなのに、優越感を持てるごく少数と、圧倒的多数のコンプレッスクスを持つ子に分類され、社会に出てもそれが繰り返されてしまっています。
もっと、それぞれの持っている弱さもいいところも含めて「かけがえのなさ」を出し合える関係をつくることが大切だと思っています。
―学校という場の役割をどのように考えられますか?
水口:
友だちという存在は自分の「鏡」です。授業で発言したら「どう思われるか」を気にしてしまう関係ではなく、生の感情のぶつけ合い、出し合う関係を大切にできる場としての集団を大事にしています。不登校、発達障害を持った子がいても、その子がいることで、逆に集団が鍛えられていく、そういう「宝」としての存在として個を認めていく場であるべきだと思っています。自分をうまく出せない子も、それが悪いわけではなく、それを認める。保健室にいる子に対しても、生徒たちは別のある一面において尊敬を持って、付き合います。学校とは、そういう個の1人ひとりを認め、全体として成長をしていく場所だと思っています。
―ボランティアのことについて教えてください。
水口:
人と人との関係の勉強です。玉川聖学院では、総合人間学として「なぜ学ぶのか?」という学習を大切にしています。答えを教える授業ではなく、生徒自らが自分で決めたテーマに対して自分の言葉にしてまとめます。学習と体験の両方を大切にし、老人ホームのボランティアも行います。
ホームで「自分には生きる意味はない」とおばあちゃんに言われ、「何も言ってあげられなかった」と生徒は悩みました。そこから「生きる意味」を考え、生徒同士のミーティングで話し合い、学び始める。そして大学で福祉を学ぶことを選んでいった生徒もいます。それこそ、『本物の進路指導』だと思っています。また、学院長がアメリカ人であるだけに、ワールドワイドな世界観を持ち、自分と世界が無関係ではないと感じ始める生徒も多く、世界のために祈ることもあります。
―水口先生にとって「教育」とはどのようなものとお考えですか? 水口: ―「ミッションスクールはどうなのかしら?」と思ってらっしゃる方に向けて、ミッションスクールだからこそできることについて教えてください。 |
水口: |
卒業生の中には、水口先生の著書と出会い、学校に足を運んだことがきっかけで玉川聖学院を目指した方もいた。 現在、彼女は横浜国立大学を卒業し、神奈川で小学校の教員をしている。 |