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ひな壇に机が並んだ大教室で中学1年生143名に向けた授業が行われている。教鞭をとっているのは中川弘校長。今回のテーマは「太平洋の架け橋」第2回目である。

まず、スライドに映し出されたのは、新渡戸稲造。「これが誰か分かりますか?」という問いかけに生徒たちは積極的に応えてゆく。

『先生、私は太平洋の橋になりたいのです』

新渡戸の言葉を紹介し、中川校長は新渡戸の生涯を話していく。岩手から上京し、13歳で東京英語学校に学ぶ新渡戸。「君たちと同じくらいだ」生徒たちは、新渡戸に自分のことを重ね合わせて校長の言葉に耳を傾ける。

新しい教育に憧れ、札幌農業学校の第2期生として入学する新渡戸。まさに、土浦日本大学中等教育学校もスタートして2年目。「君たちも同じ2期生だね」まるで新渡戸と同じ人生を歩んでいるような気持ちで、生徒たちは新渡戸の生き様に吸い込まれていく。

「Boys be ambitious!(青年よ、大志を抱け)」そう言ったクラーク博士に影響を受け、新渡戸は東京大学に進学する際に『太平洋の橋になりたい』という信念を持ったのだった。その後、アメリカやドイツに留学し、国際連盟で7年の任期を経て「国際連盟の輝く星」と称された。まさに、『太平洋の架け橋』として活躍した生涯を送ったのだ。

新渡戸の人生を自分と重ね合わせていた生徒たちは、これからの未来で自分も「輝く星」になれるだろうかと、想像したことであろう。


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もう1つの太平洋の架け橋として、紹介されたのが日本国外交官・寺崎英成と娘のマリコ。
1940年、太平洋戦争が始まる前、ワシントン勤務を命じられた外交官の寺崎は日米交渉のために現地情報をアメリカから日本へ伝えていた。

しかし事態は急変、日本軍の真珠湾攻撃により、日米間は戦争状態となった。強制帰還となった寺崎だったが、娘のマリコは妻グエンとの混血の子であり、外見からも日本では差別された。そして焦土と化した日本で、その後、世界平和を求めて講演活動を行ってきた。

「マリコはこう言いました」中川校長は、続ける。「私は両親から大事なことを受け継ぎました。それは国境を越え、海を越え、人種を越え、平和を打ち立てることです」。

「橋は決して1人ではかけられない。何世代にも受け継がれて、初めてかけられる」――
新渡戸の言葉も引用し、戦争やイジメのことにまで話はつながっていく。「学んだことは君たち自身も生かせているだろうか?」と。

生徒たちは校長の言葉を必死にノートに取り、自分と新渡戸、寺崎、そしてマリコの生き様を追いながら勉強する意味を考えているようであった。


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授業後、中川校長にお話をうかがった。

―中学1年生には難しいかと思われる内容ですが、生徒さんの内容についての理解はいかがですか?

校長:生徒たちは自尊心をくすぐられて、どんどん内容を理解しようとしています。付属校は生ぬるいという印象があると思いますが、その中でも生徒がしっかりと輝けるように夢の根っこをつくってあげたいと思っています。

―授業ノートは毎回先生がチェックされているのですか?

校長:毎回、1人ひとりのノートを見て私がコメントを書きます。

―校長先生に読まれ、コメントをもらえるのは生徒さんにとって、嬉しいことだと思うのですが。

校長:そうだと思います。特に女の子は丁寧にたくさん、感想を書いてくれます。143名の1人ひとりの生徒とのキャッチボールを大切にしています。

―授業を通して、生徒に伝えたいことは何ですか?

校長:第一志望の中学に合格できなかったため、中には劣等意識を持っている生徒もいます。そんな生徒に対して、「自信」と「誇り」を育てたいですね。やろうと思えばできるという自信と、自分が所属している場所への誇りを持ってもらいたいです。10年後、こうあるためには、今なにをすべきかを考えさせます。特に、海外や語学に興味を持っている子に世界へ羽ばたく夢への素地を培ってやりたいと思います。


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中学、高校時代、とかく「何のために勉強をするのか」「この勉強は将来、役に立つのだろうか」と悩みがちの時期である。歴史に名を残した人々の人生に触れることは、生徒たちにとって生きていく上での羅針盤を与えることになるであろう。

授業で取ったノートは感想を書いて毎回提出するため、校長へ直接に自分の思いを伝えることができる。人生の先輩として、校長自身が意欲的に生徒たちと関わっている土浦日本大学中等教育学校。この学校の取り組みは、今後ますます期待されるだろう。

中川校長の授業は、毎週月曜日の1限目(9:00〜)。
ご興味のある方はぜひ、授業見学へ参加を。

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